レクリエーショナル・ビークル的音楽雑記

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Ado「うっせぇわ」から見る攻撃性の行方

2020年は音楽ブームの風向きの、また1つ変化を感じる年であった。

今やTVメディアでも、ブームメントのバロメーターとしてyoutubeの再生回数を挙げ始めた。

CD文化の衰退は目に見えた形で遂に大衆の実感も伴い始め、最早人気指標として扱うことは無くなりつつある。

 

今や音楽の伝播の仕方は完全に形を変えたと言って良い。

伝播の仕方が変わるということは、文化も変わるのだ。

日本ではyoutubeサブスクリプションでのインプレッションの恩恵を授かり、真の力を発揮し始める者達が続々と現れている。

 

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YOASOBIは正に今の時代に適切なパッケージと言えるし、今の時代は絶好の活躍の場でもあるのだ。

 

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某ボカロPのゲストボーカルとしての参加から、怪物的にネームバリューを伸ばして行ったyamaもその典型だろう。

 

その中でも今回フォーカスするのは。彼(彼女)らと同様に現代の音楽的土壌の恩恵を授かり、一躍脚光を浴びたアーティストのとある曲だ。

 

Ado「うっせぇわ」の存在感

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去年の10月頃か、youtubeに投下されたこの核弾頭は瞬く間に再生回数を伸ばし、既に4000万回再生を越えている。

 

Adoの豊富なボキャブラリーを持つ声と、アグレッシヴな反骨精神が見事にマッチしたこの曲は、これもまた昨今の音楽的スタイルに1つ杭を打ち込む作品かもしれない。

今までにボカロ界隈でメガヒットを巻き起こした曲と決定的に異なるのは、その攻撃性の強さだろう。

表面上は優等生を装い普遍性を帯びた様に見える人間の、内なる叫びがシリアスかつ鋭利に表現されている。

 

音楽から発散される攻撃性の形と流れ

元々この手の方向性は音楽市場の主流になったことは決してないものだが、いつの時代も一定数のリスナーの心に強く突き刺さってきた。

攻撃性はその歌い手のエモーショナルな部分を、ダイレクトに伝えてくれる格好の素材でもあるのだ。

一方でその攻撃性の中身自体は、我々を取り巻く環境と共に変容しつつもいる。

 

例えば、80年代のロック界隈については、パンクロックの延長線上にもあり、取り分け社会的なメッセージ性を持つ楽曲や、それをテーマとしたバンドがセンセーショナルに活躍していた時代でもある。

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軽薄なジャーナリストはいい服を着て

何にも知らない人にうそをつく

そして安全なところからただ見ているだけ

(ストレートにゴシップを垂れ流すジャーナリストを所業を斬るこの曲。他にも反体制や反社会を歌う忌野清志郎の歌詞には、今の時代に生きていてもハッとさせられることが多い)

 

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ほらおまえの声きくと 頭のてっぺんうかれ出し

見分けがつかずにやり出して

帝国主義者がそこらで笑い出す

(遠藤ミチロウの独特で非常に過激な歌詞観やパフォーマンスは、多くのパンクス、パンクリスナーの心を捉えて離さない。本人の人柄は極めて温厚であったそうだが)

 

少し時代を進めると、ショービジネス特有の状況に対して批判を行うスタンスのバンドやグループの出現により、その攻撃性の矛先が、我々がよりリアリティを感じられる一面にシフトしていく兆候も見られた。

超高速で流行作る PROGRAMMERがしゃべった

だって金を使えば使う程有名になると

(晩期はパンキッシュな世界観が目立っていた黒夢清春の歌詞観もこの時期が最も尖っていたかも。初期は違う意味で狂ってはいたけども)

 

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何か近頃 最近 突然さあ ラップ増えてきたトップ10チャート

あたりさわりの無えリリックで 言いてえ事なんか意味不明

キメェ曲作ってヒット狙う でまた今月も1個セルアウト

 (売れ線狙いのHIP HOPグループをとことんdisるキングギドラの歌詞。そもそも当時はdisの文化が土壌にあったHIP HOPの世界に於いて、この様なスタンスは決して珍しい訳ではなかった)

 

ところが、バンドブームの衰退やR&Bの台頭などが起こった時期から、この様なスタンスが音楽チャートの上位に加わることは次第になくなっていった。

それはブームとなるジャンルの変遷の影響でもあるし、社会を取り巻く環境の変化、はたまた攻撃性への感化を問題視した大人達の都合でもあるかもしれない。もしかしたらだが。

表層上のメディアから実質封殺された攻撃性というやつは、局所的な盛り上がりは見せていたものの、飽くまでアングラ的な扱いにとどまっていたのだった。

 

「うっせぇわ」で見られる現代の攻撃性の姿

時代は変わり、突如として産み落とされた驚異的なパワーを持つ「うっせぇわ」。

既に大きな反響を得ているこの曲に関してはどうだろうか。

この曲が持つものは、「現代仕様にオーガナイズされた攻撃性」である。

 

この曲は特定の誰かを攻撃している訳ではない。

現代の社会構造に対して疑問を呈す、マクロなメッセージ性を込めたものでもない。

この歌詞の主人公は表面上は普遍性を身にまとっており、不快感を持ちながらも現代社会に生きている。そして溜め込んだ鬱憤をエモーショナルに解き放つのだ。

特定の誰かに向けるものでもなく、一貫して自己の標榜がメインテーマとなるこの曲は、多様性よろしく個人の尊厳にフォーカスされる時代に於いては、非常にリアリティを持つテーマ性として、我々の心に獰猛に噛み付いてくるのである。

 

個人の生き方や意義性を重視し始めたこの時代に産み落とされた、限りなく「個人の感情」に終始したこの曲は、きっと現代の大勢の人間達の心を掴み、魅了したに違いない。

 

閉塞感に在るからこそ感じるエネルギー

現代でも社会の不文律や謎のマナー、意図が不明なルール等に縛られながら生きている人達も少なくない筈だ。

だからこそ、「うっせぇな」の様な曲は現代に於いて強いリアリティを持ち、反発心やエネルギーの強さを感じさせる。中には形容しづらい共感を得たり、勇気をもらう人間もいるかもしれない。

時代に則した攻撃性や毒は、ある人の薬にもなるし、またある人の力にもなり得るのだ。

また今後、この様な攻撃性の変遷で名を馳せる人間が現れれば、それもまた世の中の空気を掴む鍵であるに違いない。